「変化を恐れるな」、というようなことを昨今は耳にすることが多いような気がしますが、実際には変化をさせてみたら困ることになるケースも多いものです。

改革案に反対すると「なら代案を出せ」と迫られているシーンもしばしば見かけます。

「代案がないなら反対するな」という言葉もセットですね。

しかし代案がなくとも、いや、そういうふうに変えてしまうとかえって事態は悪くなるんじゃないのかな、と予想がつくことはけっこうあります。

変えることによって良い結果がもたらされるだろうと新しいアイデアを考えるのも知性ですが、変えることによって悪い結果がもたらされるだろうと予測できるのもまた知性です。

そうしたディフェンシブな知性がぴぴっと働いた時には、ひとまずその改革案は保留にしておいて、もう少し様子を見てから判断しましょうよ、と時間稼ぎを促すのも大事なことです。

時間がたつうちに、ああ、やっぱりやらなくて正解だったね、となることも世の中には多々ありますので。

 

それに思うのですが、代案を出さないといけないのは、発案者なのですよね。

え、と思うかもしれませんが、そうなのです。

自分の提示した案に反対が多いから、なら代案を出せという言葉が出てくるわけです。

いや、反対が多いのなら、いま出している案をいったん引っ込めて、見なおして出して来なさいよ、と反対陣営が言ってあげるといいと思います。

そうしたらもう一度みんなで検討しましょうよ、と。

だいたい、一方の陣営が一方的な思考で組み上げた案というものが、多くの人にとって納得できてかつ問題点も少ないものになっていることは、まずありえません。

反対を受けたり批判をされたりして、それを汲み上げた上で練り直した方が、たいていはよい案となってまとまることが多いです。

最近はそういう調整を嫌い、対立姿勢を作り出した上で白黒つけようじゃねえか、と腕まくりするタイプの政治家が増えているようですが、社会が混乱しやすくなるだけで、まったくもってメリットがないと思います。

それで負けたら潔く引き下がるかというと、未練たらしく首相に会って政治家として復活の道を探ったりして、みっともないったらないですね。

 

まあとにかく、対立を煽るタイプの人材には気をつけたほうがいいです。

結局ああいう人たちは社会を混乱させて制度を疲弊させるだけで、たいして建設的な活動なんてできやしないので。

調整や折衝、とりまとめを怠る者には最終的には大きな仕事なんてできやしません。